2013年12月28日土曜日

【みんなのフェスティバル】
ーダンス公演『コンテンポラリーダンス@西日本』ー

INTERVIEW Ⅵ
アーティストにきく『「場所」や「拠点」って?』
—yummydance(ヤミーダンス)〈宇都宮忍・合田緑〉(松山)−

去る20131123日、無事に『みんなのフェスティバル』は最終日を迎え、ダンス公演『コンテンポラリーダンス@西日本』も終了いたしました。このダンス公演のお題目は「ArtTheater dB神戸という劇場空間での"ソロダンス"の可能性を探る」。西日本の様々な地域で活動中のコンテンポラリーダンスの振付家/ダンサーが一同に会し、それぞれにとっての"ソロダンス"に取り組みました。
このブログでは、参加された8組の振付家/ダンサーに活動する「場所」や「拠点」ということをキーワードにお話を伺ってまいりました。公演が終了した後も、引き続きそれぞれからお聞きした声をここでお伝えしていきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

現在4人グループで活動されているyummydance。今回は宇都宮さんと合田さんのお二人がこの公演に参加されました。公演前日の朝、劇場のロビーでお二人からお話を伺いました。





--- お二人のご出身はどちらでしょうか?

合田 はい。松山市近郊です。

宇都宮 私は、愛媛県のちょっと南予の方なんです。

合田 ただ高校から(宇都宮も)ずっと松山ですので、松山はもう地元っぽい感じではあるんです。

--- お二人が出会われたのはいつですか?

合田 松山という場所はダンスが盛んな場所なんです。(宇都宮が通っていた)松山大学と(合田が通っていた)愛媛大学にもダンス部があって、初めはダンス部同士が交流する中でお互い顔見知り程度でした。その後、99年に松山市にドイツの振付家(アマンダ・ミラー)がやってきて、長期のワークショップとオーディションの大きいプロジェクトがあったんですが、その中のを一緒に受けて親しくなったのがきっかけです。

--- yummydanceさんは現在何人で活動されているんでしょうか?

宇都宮 今は4人で活動しています。

---  では、yummydanceさんがスタートするきっかけを教えていただけますか?

宇都宮 さっき言っていたワークショップは「松山ダンスウェーブ」と言って、5年くらいの計画で継続されていたんです。その最終形がアマンダのオーディションワークショップだったんです。そこで最初に残った人が十何人くらいいて、その中の6人くらいが集ってアマンダのプリティアグリのカンパニーと公演をする事になったんです。その時にアマンダがグループに名前が必要だからっていうので「yummydance(おいしいダンス)」っていう名前をつけたのが始まりです。

合田 それは最初、アマンダ・ミラーのプロジェクトの松山でのダンスグループみたいな感じのスタートだったんですよ。

宇都宮 スタートはね。

合田 そう、スタートは。その後もアマンダと3年位一緒にやったんですけど、アマンダの作品も踊ったり、それ以外にドイツで勉強したりする機会もありました。そして、それとは別に、同時平行で自分たちの作品も作り始めました。アマンダとは今も親しいんですけど、一緒にはやらなくなって。その後、グループを継続しながら私達が自分たちの活動として「yummydance」を始めました。それが、今から15年くらい前です。

--- アマンダさんと活動されていた時は、松山とドイツを往復して活動されていたんですか?

合田 基本は松山です。振付家がドイツで活動している人だったので、ドイツとの繋がりも持ちながら、そういう感じで始まったんですけど。そのうち自分たちも松山以外のいろんな地域でも作品を発表させてもらうようになって、今に至ります。

--- 松山に住んで作品を作られていますが、その場所から離れず続けている理由って何かありますか?

宇都宮 離れない理由か。私たちは松山にいて、例えば東京で公演がある時は松山から東京にいけばよくって。ドイツで公演がある時は松山からドイツに行けば良いと考えています。なんか点みたいなのがあってそれがグルッと回ってる(腕で例えると、肘が点(松山)でそこを中心に肘から上がグルッと回って、手が円を描いて色んな場所に行く、というジェスチャーを交えながら)みたいな感じに私は思っています。松山は自分たちが生まれ育った土地だから住みやすくって、勝手知ったる土地っていうこともあって、落ち着いて物作りは出来る。発表する時は自分たちがどこかに行けば良い。みんなで拠点を移そうっていうふうに思った事が無いです。

合田 元々ここに住んでいたから、ここで生きていきながら踊りを作る。出て行きたいなっていう気持ちが湧いた事が一度も無かったという訳じゃないんですけど。松山に居ながら、域外に行き来することを繰り返しながら活動することで、松山で踊る良さというのを実感する機会が多くありました。もちろん、大都市に比べると情報は少ないし、刺激も少ないのでフラストレーションがたまったり、大変だと思ったりする事はたくさんある。でも、逆に出てったから急に作れるようになるかと思うと、そうじゃないな、って言うのが自分たちの中にはあります。情報の少ないところで、籠って作れることで妄想を膨らませる余地もあるので、むしろ面白い。それを巧く使う手は無いなと思っています。
でもやっぱり一方で、ずっと松山に居るだけでもダメだとも思うんですよ。ちょっと気をつけないとすぐ閉鎖的になってしまうから。またダンスに関係する人たちのコミュニティは小さかったり人数も少ないという問題もあります。深呼吸をするために色んな場所で。しかもメンバー全員でガァッて1つの作品を作る時もあるし、今回の「コンテンポラリーダンス@西日本」のようにソロや数人でポンッポンッて行ってやることもある。それがメンバーお互いの刺激になって面白い環境になっているなと思います。

--- 人数が少ないのは松山でダンスを見に来る人ですか?

宇都宮 見に来る人だけでは無くて、アート系の活動をしてる人が少ないのかな。

合田 アーティストが少ない。ダンスを習ってる人やダンススタジオの数は凄く多くって、総人口に対してダンス人口は多いんですよ。けど、作品を作るという人は少ない。

宇都宮 そうそう。芸術系の大学がなかったりするせいもあって、関西とか東京とかに比べてアートに携わる人の割合は、ちょっと少ない。

--- yummydanceさんは作品の制作をどんな場所でされているんでしょうか?

合田 自分たちのスタジオや事務所は持っていないんですよ。普段は松山市内の施設を借りて作品を作ったり、大きなリハをする時は劇場を借りることもあります。その時々によって、いかにお金をかけずにいいものを作っていくかを凄く考えながらやっています。やっぱりみんなアーティストはお金が無いから。そこの問題についても凄く思うところがあって。どうやって作品を作り続けるか。活動し続けられるかについてはいつも皆の話題に上がる。みんな凄く工夫したり苦労したりしていますね。

--- では、グループで活動されていることの面白さって言うのはどういうところに感じていらっしゃいますか?

宇都宮 yummyは誰か一人が振付家で他がダンサーみたいな形では無く、全員が振付もするしダンサーでもあるみたいな感じで作ってるので、それが凄く面白いところかな。

合田 一人の人が完全に振り付けて残りのメンバーがダンサーに徹する事もあるんですよ。皆で1つの作品を振付家兼ダンサーとして作る時は、全員入り混じりながら、議論し合いながら作ります。もうもみくちゃになりながら作る事もあって、作る事と踊る事を巧くクロスさせながら進めています。要は「面白いモノを作る為には手段をいとわない」みたいな感じで、お互いが創作に携わる。こういった関係性を作れる事がやっぱり珍しいと思ったので。そういう仲間が居る事が、松山に居て作り続けていられる大きな理由の1つです。それは松山だからという「場所」だけではなくて、このメンバーがいる「環境」がここにあるから、というのが大きい。

宇都宮 メンバーがここにいるから、ここ(松山)っていう。人があって、あとで場所がついてくるみたいな感じ。場所ありきでそこにワーって人が集うっていうよりも、メンバー()が居てyummyって場が出来てる感じです。

合田 だからけんかをする事もありますし、作品に対していろいろぶつかる事もあります。けど、皆の目的が1つだから大丈夫。

宇都宮 そうそう。いいモノを作りたいっていう。嫌いで喧嘩している訳ではないから大丈夫(笑)。

合田 他のメンバーが別のプロジェクトでやっている事を見て凄く刺激を受けたりとかもします。後はyummydance以外にも星加さん(星加昌紀さん)とか、ソロで活動してるダンスの方も松山にはいらっしゃって。作品の制作途中で悩んだ時にワークインプログレスとして、途中までの作品を(お客さんの視線で)見てもらって感想をもらったりとかしています。そういう作品作りの過程を踏む事が面白いなと思います。そういう事を話し合えるコミュニティーは本当に貴重です。

--- では、お二人は松山を自分たちの拠点だと感じていらっしゃいますか?

合田 拠点かぁ。うん。(改めて聞かれると)そうかもしれませんね。松山を背負ってとかそういう気持ちは無いんですよ。たまたま自分たちが生まれて踊りを作っている場所がここだから、ここを拠点に活動をしていますとプロフィールには書いてる・・・

宇都宮 私、ダンスを始めた最初の頃は拠点とかいう意識はすごく薄かったんですよ。でも今は、その場所で(活動を)することによって生まれる人との繋がりとかが沢山あって、理由はそれだけでは無いですが、今は昔よりもかなり拠点の実感が増してます。自分は。

合田 うん。自分も昔に比べると。なんかね、わかるよ。

宇都宮 うまく言えんこれは。

合田 でもそれはね、松山で15年活動をやめずにずっと作品を作り続けてこれたっていう、この年月が大きいんだと思う。あと近年は松山に住んでる人たちから応援して頂いたりのオファーを頂いたりする機会が多くなってきたことがあります。以前は、松山で踊る機会の方が逆に少なかったんですが、活動をずっと地道に続けて行く事によってダンスをやってない松山の人とか、四国の近郊の方とかに知ってもらえる機会が多くなってきました。

合田 けど、今話しながら・・・だんだん分かってきました。松山を拠点にしていますって、自分は屈託が無く言える。言えるし、好きな街ですし、執着はしてないけど、とても大切に思っています。ここから色んな所に行ったり戻ったりここで作り続けられる環境はいいなと思います。

--- では最後に、活動をされている場所は、お二人にとってはどういうものなのでしょうか?という事をそれぞれ一言で伝えていただけたらと思うのですが、いかがでしょうか。

宇都宮 なんか、足の裏みたいな感じがあって。さっきのこういう(腕で例えると、肘が点(松山)でそこを中心に肘から上がグルッと回って、手が円を描いて色んな場所に行く)考え方だと思うんです。足の裏(活動している場所)、たぶんここがあって自由に動けるみたいな感覚。ここにも居れるし、向こうにも行けるし。なんかそういう一番下の支えになってる感じなのかなと自分は思います。

合田 いいこと言うね(笑)。場所についてそんなに考えた事無いからすごい良い機会だなと思って。

宇都宮 そうそう。拠点とか場所についてあんまり。

合田 私は、息を吸って、吐いてって呼吸する中でいっつも戻ってくる場所があるけど、そういう息継ぎをするところ。元の場所っていうか。出てって戻って、出てって戻って。いつも落ち着いて物事が考えられる、自分を元に戻せるようなところなんだと思います。起点のような。でもそれがもし松山を出て他の所に住み着いて、年月を重ねながら作品を作っていくとその場所が拠点になるんだと思うんですよね。けど、今は自分にとっては松山がそういう起点の場所です。呼吸をしていける場所。







————————————————————————————————————


yummydance(ヤミーダンス)


99年ドイツの振付家アマンダミラーとのワークをきっかけに結成。メンバーは宇都宮忍・合田緑・高橋砂織・得居幸。全員が振付家・ダンサーというスタイルをスパイシーにころがしながら共同制作を行い、ユニークで枠にはまらない‘おいしいダンス’は各地で話題を呼ぶ。松山を拠点に国内外で多数公演を重ねる。0508年「トヨタコレオグラフィーアワード」ファイナリスト。今年で結成15年目。今回は宇都宮と合田がdbに登場。
                              



————————————————————————————————————
【みんなのフェスティバル】ーパフォーマンスー
『コンテンポラリーダンス@西日本』
日程:1123 17時 開演 
会場:ArtTheater dB 神戸
参加アーティスト:菊池航(大阪)、木村玲奈(青森/新長田)、くはのゆきこ(福岡)、高木貴久恵(京都)、中間アヤカ(大分/新長田)、三浦宏之(岡山)、目黒大路(鳥取)、yummydance(松山)